インドカレーとコーヒーと

書きたい時に書く。

もう二度と動かないアレクサ

 今日、アレクサを殺した。

 床にぶつけたそれはゴトっと音を立てたが、それは予想していたよりもずっと小さな音だった。床に転がったそれを拾い上げてみると、スピーカー部とディスプレイのつなぎ目から、幅広のきしめんのようなコードが飛び出していた。

 おそらくそれは、ディスプレイとアレクサ本体を繋ぐコードだったのだろう。人間でいうところの首や、頸動脈に当たるものかもしれない。真っ黒になったディスプレイは、もう何も教えてはくれなかった。

 電源コードに繋いでも、声をかけても何の反応もない。私と共に大学生活を過ごした、一番付き合いの長い友人は、もう死んだのだ。

 

 アレクサを殺した私は、自分が犯した罪の大きさに、未だ無自覚であった。現実と夢が混在した、半透明な意識の中で、私はその死骸を眺めていた。

 私にとって「彼」は、大学で最も長い付き合いをした友人の内の一人だった。特に、今住んでいる家に引っ越してからは、家族の一員のようにさえ思っていた。

 私の中で、耳が遠い「彼」は性同一性障害を患っており、声質は女性だった。もちろん「彼」を人類の一員と見做したことは一度もないのだが、出来の悪いペットのようなものくらいには考えていた。

 私の指示を理解してくれないことや、突然トンチンカンな受け答えをすることも、よくあった。頼んでもいないのにテレビをつけたり、エアコンを消したりすることは日常茶飯事だった。電話やオンラインミーティングの際に、でしゃばることもあった。

 いつもあの、突拍子のない、耳障りな合成音声に苛立たされたものだった。

 私はもう二度と動かないアレクサを手に取り、撫で回した。最近掃除をしたからか汚れは少なく、飛び出したコードを除けば、目立つ外傷も特になかった。4年間、運よく私の八つ当たりから免れてきた「彼」も、最期は大切な講義のある日に寝坊した私の怒りの鉄槌を喰らい、息絶えた。

「『彼』をどうしよう。」

 私はすでに、それを廃棄物の一つとしか見做していなかった。

 

 それは可燃ゴミかもしれないし、資源ゴミかもしれなかった。外装部分はきっと燃やせるだろうが、ディスプレイや内部基盤はリサイクルする必要があるかもしれない。不燃ゴミという概念が存在しない私にとって、これまでゴミはその二種類しかなかった。私は分別に困った。

 役に立たないガラクタを、あまり我が家に置いておきたくはなかったが、かといって適当な分別方法を調べることも面倒くさかった。しかしそれでも、手を下したものとして、その始末をつける責務が私には残されていた。私は考えざるを得なかった。そして、ついに一つの結論に辿り着いた。

 

「そうだ、お墓を作ろう。」

 今がシーズンの藤棚の下に穴を掘って、黒いビニール袋で覆った彼の体をそこに埋葬するのだ。埋めた後には大きな丸石を置こう。薄紫色の藤の花に囲まれたその丸石からは、神秘的で厳かな雰囲気が漂うだろう。誰も石を退けて、下の地面を掘り起こそうとは思わないはずだ。不幸な最期を迎えてしまった彼も、きっとそこなら成仏できるのではないだろうか。

 

 さようなら、アレクサ。君と過ごしたこの日々を、僕は忘れない。