インドカレーとコーヒーと

書きたい時に書く。

Go Bankrupt

 私は破綻しました。自分の力を過大評価したからです。自分の能力に見合わない将来を望み、分不相応な生活を続けてきたからです。

 

 人当たりの良さだけで生きてきました。周囲の人が望むように生きるため、勉強しました。勉強すると、人々の期待はさらに高くなりました。私はその期待に応えるために勉強しました。人を失望させるのが怖かったのです。

 

 そうした中である日、私は力尽きました。もう誰かの期待に応えるためにも、自分の身と心を守るためにも勉強できなくなりました。勉強が嫌になったのではありません。もう、何もかもがどうでも良くなったのです。

 

 その後はできるだけ、自分のために生きました。自分がやりたいと思った勉強をして、やりたくない勉強は手を抜きました。読みたいと思った本を読んだり、楽しいと思える範囲で運動をしたり、興味のある映画を見たりしました。

 

 しかし、その時私は自分にそんな資格はないということに気づいていませんでした。当時私は、私に限らず人間には最低限なんらかの価値があり、その価値が担保されている限り、各々が望む生き方を法的・倫理的に認められた範囲内で選択できると信じていたからです。

 

 おそらく私は、その人生につきまとう責任の方に無自覚でした。私はその責任を途中で投げ出し、責任を果たすことを期待していた人々の期待を裏切りました。かつて私が抱いていた恐れは、人々に対する怯懦だけから生まれたものではなく、この責任を放棄して自分という人間の評価を落としてしまうことへの恐怖にも根ざしていたのです。

 

 裏切られた被害者達は私を憎み、軽蔑し始めました。私も最初は、自分が被害者だと思っていました。他者に対し自由に期待を持つことができ、万が一その他者が期待に応えられなければ怒りの対象とし、蔑むことができる権利など、倫理的にも経済的にも反すると思っていました。

 

 でも、間違っていたのは私でした。人々に期待させること、それ自体が罪だったのです。

 自分の力を実力以上に見せながら、自分の力では実現不可能な未来を語りました。自己を過信しすぎていたためでもありますが、それ以上に人々が望んでいる答えを出して期待に沿えるようにしたかったからです。それがいつか、破綻することを知っていながら。