インドカレーとコーヒーと

書きたい時に書く。

人生の消化方法について

 最近、これから何をして生きていこうかと、真面目に考えるようになった。もっと早く考えるべきだったかもしれない。

 自分が本当にやりたいことは何か、今それが出来ているかと考え始めると、あっという間に時間が経ってしまう。

 仕事はしないといけないだろう。でも、どんな仕事をやりたいのだろう。どの仕事も一見魅力的に見えるが、実際にやってみると「こんなものか」と飽きてしまうことが、経験上予想できる。特別やりたい仕事もなければ、やりたくない仕事というのもあまり思いつかない。興味のある仕事が何個かあるくらいだ。

 仕事は割り切って、趣味に没頭するのはどうだろう。学生の間に様々な趣味に触れたこともあって、色彩豊かな人生を送れるくらいの下地はある。しかし、そのどれもが生涯をかけて取り組むほどの趣味だとは到底思えない。結局のところ、浅く広くが私の人間性なのだ。

 仕事も趣味も中途半端。特に贅沢や名声を求めているわけでもなく、これといった野心もない。惰性で生きるには、残りの人生はあまりにも長すぎる。

 だが、「これでいいのかもしれない」と思い始めた私がいる。疲れたのか、それとも諦めたのかは分からないが、具体的な目標を持たずに、消費と生産を交互に繰り返すような人生も、一つのライフサイクルと言えるのではないだろうか。

 私の目的関数は効用関数でも利潤でもなく、ただの0なのかもしれない。最大化の概念すら存在せず、正でも負でもない。長期的に見れば何の不足も余剰も産み出さない0。

 この0の人生を、どのように意義深いものにするかなど、結局のところ考えるに値しないのだろう。